昔懐かしい思い出を新潟の方言(蒲原弁)を交えて語った映像集。
「ふれ太鼓」とは祭りや相撲の開催を知らせる太鼓のこと。新潟・中条では、「大祭」初日、夜明け前の暗いうちから、太鼓たたきが町を歩きます。
新潟・中条の商家で生まれた「柄沢スミ」。大正から昭和の初期にかけて裕福な子供時代を過ごしました。
海水浴に行くというのは、昭和の初期まで一般的ではありませんでした。こどものころ夏休み楽しみにしていた海水浴と白玉団子のお話。
小家では2月になると薮入りがありました。北国では「しみる」寒さの季節に独特の言い回しがありました。
新潟・中条の昭和初期。旧暦の3月に実家で豆まきをした様子です。独特のかけ声を掛け合います。
赤穂浪士討ち入りの日に、ザクザクと雪道を歩いて商家を訪ねてくる「お相撲さん」がありました。
「しゃれもの」の商家の父のもと大正、昭和の初期には珍しい食事や行事がたくさんありました。
商家の大晦日は大忙し。越後の北部の伝統料理「いずし」も用意します。
むかし、むかし、嫁入りの際、「つきおなご」というお嫁さん付きの女中が実家から来て身の回りの世話をする風習がありました。
女学校を卒業すると東京でしばらく学生生活をしました。
昭和の初めでは、新宿はまだまだ建物がなくて寂しいところでした。