健康の秘訣はたのしく仕事をすることとおいしい食事。肉も魚も大好物。食事が健康と幸せの素。
晩年になっても夕食に赤ワイン一杯をたしなみ、干し貝柱のだしの「味ご飯」が好物、コーヒーはブラックで、ラーメンはチャーシュー麺、東京では香辛料たっぷりの本格派インド・カレーが定番でした。
「ライス・カレー」と呼ぶ、黄色の昭和初期のカレー。
子供の懐かしの美食「鯛の子の塩辛」がどうしても食べたくなり、東京の料亭でそのメニューがあるというので新幹線とタクシーを乗り継いで行ってきました。
こだわりの「大平(おおひら)」。もともと「大平」とは蓋つきの大きな器のこと。干し貝柱のだしをとり、里芋、しいたけ、まめふ、しらたきだけのシンプルな具材に淡い味付けの一品。冷やして、小さな器に盛り付け、箸休めもしくはお口直しとしていただく。これは新潟名物「のっぺ」とは別ものですよ。「召し上がり方も具材も違う、上品なものですよ」が口癖でした。
越後北部の料理「飯(い)ずし」。米麹の中に村上の塩引き鮭の切り身と皮、いくら、数の子を笹の葉で包み、寿司桶に入れ、重石を乗せて水を抜きながら、寒い冬に2週間以上発酵させます。生家では藍色の大きな魚の姿をした器に盛り付けました。お正月を彩る豪華な一品。
「親戚、孫もしばらく会わないと他人になる」といって正月と盆の集まりは大切にしました。
生垣にもなり、食用にもなると某テレビ番組で紹介され、また、直江兼続も栽培を奨励したといわれている「おこぎ(うこぎ)」
春の始まったばかり、柔らかな若芽だけを摘み、いただく。その独特の苦味は春の味覚。
みそ汁にして食べるのが一般的な丸がに。
2月から3月のごく短い時期にしか
たべられません。
正月と盆にあるサイド・ディッシュの「鳥のうま煮」。
鳥の足をお店で骨付のまま食べやすい大きさに切ってもらい、ごぼうと炊く。冷まして食べるのが定番で、味がしみて、煮こごりも美味しい一品。
大きな器に盛り付けられた料理は焼きの器はかけるといけないので「持ち上げない」、塗りの器は「持ち上げて」取り分けても良いが決まりでした。
小さかった頃のお正月の膳
80年前の豪快な「いさざ」の食べ方をご紹介。
「いさざ」は川底の綺麗な清流でないと生息できないため現在はほとんど見られなくなりました。
春先に日本海から遡上するマスを
とくに本鱒といい高級魚です。
昔、新潟中条の商家ではそれを
春鱒と呼び「住吉様」のお祭りに
みんなで食す「夜籠り」の定番料理でした。
6月の終わりころになると、近くの清流で鮎が漁れました。男衆が川の水を張った桶に鮎を泳がせて持ってきたものです。それをすぐに串に刺して囲炉裏で焼く。家中に焼けた香ばしい香りがたちこめていました。
天然鮎の「かおり」は格別です。それを生かすためにやらなくてはいけないこと。こだわりの方法。
ヨーロッパ出張の際は、現地の人しか知らないこだわりのレストランへ連れて行ってもらいました。小さい頃から洋食に親しんできたので、どこへいっても美味しくいただきました。この写真はブイヤベースの材料をシェフが見せてくれています。
自然薯は天然と栽培ものとは全くの別のもの。地中の石や固い土に負けずに育ち、力ずよくウネウネと曲がりくねった自然薯こそ、天然物。風味がすばらしい。最近では掘り手が少なくなり、てっきり見なくなりました。
むかし、縁起のお菓子だった「有平糖」のこと。
9月5日「大祭」の膳
赤飯、吸い物、鯉のうま煮、大平、鳥のうま煮、へぎ塩引き鮭(2度の塩漬けして土蔵に吊るされていたもの)、新発田の料理「からずし」(「からずし」は知る人ぞ知る逸品。おからを麻の実、生姜などを炒め酢でしめた小鯛にはさんだ鮨)
商家の家の天井の黒く大きな丸四角の梁でした。
そこから豚モモの塊を吊るしてときどき燻製をつくりました。
子供の頃「茶の間の天井はきれいだな」と大きな梁をよく眺めていたのが思い出です。
越後の秋、鮭が遡上しはじめる時期になると、一昔前、
「鮭の川煮」という料理がありました。
新潟・小千谷のつるつる美味しい「へぎそば」と呉服の関係。